4/9 ドレスコーズ 新木場コースト
音楽に出会わなければ、わたしどうなっていただろうか。
正直今ここに存在していたかどうかすら怪しい節がある。
いよいよ30歳になろうとしている今日この頃でも、わたしにとって生きることは悩み苦しみの連続で、コップになみなみ注いだ水の表面張力みたいに、安定とは程遠い、際どいバランスで進行している。
そのコップのそばにはなるべく行かないように、ふと気付いたらそばまで来てしまっていた時には、目を瞑りながら細心の注意を払い、水面を揺らさないようすみやかに離れるのだ。そんな事をもうずっと続けている。
だけど反面わたしは、自分は幸せになるために生まれてきて、人生の時間は楽しむ為にあるのだと信じて疑ったことがない。
これまでどんなに地獄の底にいたってそれは揺るがなかった。
なぜなら、そんな瞬間は確かにこの世に存在する事を知ってるんだもの。
それは、5000円くらいで買えるチケットと引き換えに遭遇できる。
だけど必ず会える訳じゃない。特別な出来事なのだ。
わたしの幸せは常にロックの流れるステージの上にあった。
生真面目な母親に育てられたため法に反するような快楽に足を踏み入れたことはないが、そんなもの不要なくらいの多幸感がそこにはある。
利口じゃない、器用じゃない、がむしゃらで時にはバカバカしい。でも世界一カッコ良くて、全身がシビれるのがロックだ。
最近のわたしは、志磨遼平が「わかんないやつは全員くたばれ」とか、「これが僕の論理的思考 わかってたまるか」なんて言うたびに、わたしと同じだ、と密かに微笑んでいる。
他人と共有できない物を信念とするのは孤独だけど、臆病なものほど一人で立たないといけないのだと思う。自分以外の誰かや何かは、自身の意思でどこかにいってしまうかもしれないのだから。
明日のドレスコーズのライブ、こんなに楽しみにしたのはいつぶりかな?と思うくらい楽しみにしている。
邦楽に失望したわたしを引き戻してくれた志磨遼平に、いよいよ会いにいく日が来たのだ。